木の精の唄

きのせいはすごい!

3章 木を植えてみた

私は以前にいろいろ木を植えてみたのだけど、それについて書いてみようと思う。

まず最初に、植えた木の種類は、栗、柿、サクランボ、桃、梨、杏、李、アケビ、みかんなどだ。

実は一種類あたり2本以上、桃やみかんは一種類ごとに10本以上植えたみたのだけど、まず結果から書いておくと、ほとんど駄目になってしまった。あまり書きたくはないのだけど、本当のことで大変残念だった。

 何故植えたのかとゆうと、私が道路を歩いていたときのこと。

なにげなく普段気にもとめない街路樹を見ていたら、枝をほとんど切られて丸坊主の無残な姿になっている木を何本も発見した。まるでこぶみたいになっていていびつな形をしていた。なんでこんなことをしたのかわからないけど、非常に残念に思った。

これがきれいな花が咲き、おいしい実のなるサクランボや杏のような木であったらと思った。

そしてその後河原を歩いていると、ヨシが大量に生えているのを目にし、多くの雑草や雑木が生えているを目にし、これも残念に思った。日当たりもよく、地面が常時水で湿っているので、木にはうってつけの環境だろうと思った。

木の根には、土を抱きとめる効果があるので、川の形も変わりにくくなるから、いろいろ考えて木を植えてみようと思ったのだった。

 苗木はホームセンタなどで買ってきた。値段は一本あたり千円前後。先に大きくなることを考えると安いものだと思った。

 木とゆうのは植えてしまうと水をやらなければならないもので、水をやりながら歩く日々が続いた。

思うにただ目的もなく散歩するよりは、木に水をやってあるくのは目的や楽しみがあってこれはこれでいいものだった。

 しばらくして桜や杏などの花が咲くと喜びもわいた。

枝がのびたり、葉がはえたりするのをみるのは結構楽しい。

たかだか木の葉が生えたくらいでと思うかもしれないが、自分が植えた物には格別の感情がわくものだ。

 そして怒りもわいた。植えていた木が何本も抜かれたのだ。栗や桃が何本もなくなっていき、なぜ抜かれたのかがわからない。横に生えていた雑木はそのままだったから人為的なものだろうけど、泥棒なのかいたずらなのか理由がよくわからない。

 せっかくよくしようと思って植えたところ、わざわざ雑木をのこして抜いていく理由がよくわからない。

木とゆうのは植えた場所は私の土地ではないので、植えたものは、土地の所有物になってしまうらしく、植えた木は県か国のものとゆうことになるらしい。

とった人は誰だろうと思った。

 みかんは寒さに弱いらしく、冬になるとほとんど枯れてしまった。

ほかに杏なども草刈のときに刈られてしまったらしく、残ったものはほとんどなかった。

 そして雑草や雑木の生い茂る汚れ川を嘆く気持ちで眺めたのだった。

余計な道や建物を作るくらいなら、こうゆうところをきれいに手入れしたほうがいいと思う。ただコンクリで固めた何もならない殺風景な川にするよりは、花が咲き、実がなり、魚がとれ、酸素がうまれる川にしたいと思った。

 もし私の家に庭があったなら、いろいろ実のなる木を植えただろう。

庭なら寒くならず、みかんも枯れないかもしれない。つくづく庭があったらと思った。