4章 木の種類
木にはいろいろな種類がある。どんな木を植えるかは、目的によってさまざまだ。
先に書いたソメイヨシノとゆうのは見るためにある木といってよい。さくらんぼの木は花の形は見た目同じだけど花の数は少なく赤い実がなる。
梅はいろいろ種類があって白い花をつけるもの。赤い花をつけるもの。蝋梅という黄色い花をつけるものもある。梅というのは庭園によく植えられ、枝の切り方によって枝っぷりを変え楽しむ木で贅沢な木だ。
なんでこんなことを書いているのかとゆうと。木とゆうのはよく見るといろいろな違いがあって、用途によって植えるものをよく考えて植えたほうがいいからだ。
まず木の中でもっとも植えられている木は杉で、杉というのはまっすぐに育つ木で斜めに枝分かれせずにまっすぐ伸びていく。伸びるのがとても早い木だ。
だからとても建材に向いた木だ。
ほかにも似た木に栂(ツガ)や、よく神社に植えられている木に欅(ケヤキ)という木がある。欅とゆうのはまっすぐで固い木で城門や神社を建てるために使われている高価な木だ。
ほかに高価な木に檜(ヒノキ)という木がある。この木も固く、もう一つの特徴として腐りにくいというのがあり、風呂やまな板に使われている。
木の中でももっとも軽い木で、たんすや箱に使われる桐(キリ)という木もある。
建材に使う気はこれくらいにしておいて、次は果実のなる木について書いてみよう。
まず前の章で挙げた蜜柑について書いてみよう。
柑橘系の木にはいろいろ種類があって、レモン、夏みかん、でこぽん、スダチ、ゆず、はっさく、オレンジ、金柑、だいだいなどいろいろある。
私が植えたのはその中でも一般的な温州みかんだった。
蜜柑の特徴は一年中ずっと葉をつけていることで、温州みかんはほかの木が秋を過ぎて葉を落とした中でも青々としている。
蜜柑は初夏に白い花をつけたあと緑の実をつけ、冬まで実りながら熟していき、オレンジ色の実がなる。
もう一つ書いておこう。柿だ。本当は栗にしたかったけども、私の植えた栗の木は駄目になってしまったのでやめておく。
なんで柿とゆうと、楽だからだ。実もふたもないようだけども柿は寒さに強く、虫もあまり食わない。強い木だ。労せずしておいしい実がなるので実に楽だ。
栗みたく固い皮をむいたり、加熱しなくてもよく便利だ。
楽に実の成る木を植えるののなにが悪いのか?ということで、柿にした。
柿は秋に実をつけ、秋の終わりには葉を落とす。そしてその枝にはたくさんの芽がついており、春になると枝を伸ばしながら葉をだしていく。その先にはつぼみがあるときもあり、初夏になると花を咲かす。その後実をつけ、葉でできた栄養分をもらいながら実を大きくしていく。いろいろな木を植えてみて、木とゆうのは実に便利な道具のようなものかと思った。
その性質をみるのは面白いことだと思った。
1章 桜の話
あなたはいろいろある花のなかで、何が一番きれいだと思いますか?
コスモス?パンジー?チューリップ?それともデンドロビューム、蘭、萩、菜の花、バラかもしれない。
日本には四季おりおりのいろいろな色の花が咲き、これほど多くの花がさく国は
ほかにないかもしれない。そんな中で、「これが一番」と誰もが思うような花がある。
それは「桜」だ。
春になると本州の山、河原、公園、家の庭などいたるところで咲き乱れ、日本の風景を彩る。桜の色は人の心を動かす。これほど日本人に愛される花はないだろうと思う。
さてこの桜とゆう木は不思議な木で、春先に花を咲かす。
ほかに春先に花を咲かす木はほかになにがあるだろう。
梅、桃、李、杏などがあるが、あまり種類はない。
さてなにが不思議なのかとゆうと、桜とゆうのは花が先に咲くからだ。
春の花見の時期に、雨が降ってしまって大方散ってしまい、その後に黄緑色の葉が生えた葉桜を花見で見た人もいると思う。これはこれで乙なものだけど、ここで同じ時期に咲く菜の花を思い出してほしい。菜の花はまず葉をつけてから、先端に黄色い花が咲く。細かく追うと、まず胚乳から栄養分をもらって芽を出し、葉で栄養分を作ってつぼみをつけて花を咲かす。その後、葉で栄養分を作って実に溜め込んでゆく。
大体の植物は、先に葉をつけてから花を咲かす。
しかし桜は葉もないのにいきなり花を咲かす変わった植物だ。
もし葉をつけないで花を咲かすとなると、葉から栄養分をもらわずに花を咲かさなければならない。咲くための栄養分はどこからくるのだろう?
葉がなければ栄養分も作られないので実がならない。
だから本当は葉をつけてから花をつけたほうが安全で、そうゆう植物のほうが多い。
そうでない桜は変わった植物だ。
さて日本に多く植えられたソメイヨシノという品種は花を多くつける品種で、あまり実が大きくならない。私は前にサクランボの木を植えたことがあるのだけども、花はあまり多く咲かず、市販のサクランボほどではないが、赤い実をつけた。
ソメイヨシノは花を多くつけるがゆえに、栄養分を分けてしまうため、実が大きくならないのだ。
ソメイヨシノは花を多くつけ見るには大変美しい品種だが、身のなる品種をもっと植えてもいいと思う。
2章 木の話
桜の木とゆうのはきれいな花が咲き、品種によってはサクランボもなる。ほかに燻製をつくるときにつかうスモークチップに桜の木が使われている。
さて、木とゆうのは先に書いたとおり、いろいろなことに使うことができ、大変便利なもので、これほど便利なものはほかにないと思う。
木にもいろいろ種類があるけれど、ほかに何に使っているか考えてみよう。
まずは木材がある。家を造るには多くの木が使われていて、柱、床板、天井、建具(ふすまや障子など)、ほかにも机、椅子、たんす、棚など気づかないかもしれないが、人は多くの木に囲まれて暮らしている。ほかにもこれを書いている鉛筆(ネットに上げるまえに紙に書いている)にも木が使われている。箸もだ。おわんも、まな板も、いろいろな道具の取っ手にも木が使われている。これはなぜがとゆうと、木は加工しやすく、頑丈で、軽量で、熱を伝えにくい。木とゆう素材は実に優れた素材だと思う。ほかにもこれを書いている紙も木でできている。
ほかに何に使うだろう?薪や木炭など燃料に使える。そしてもちろん果実がある。
りんご、柿、梨など多くの実がなる。まだある。酸素だ。
酸素とゆうのは非常に重要な元素で、これがなければ生物は生きていくことができない。ほかにも、酸素がなければ火も燃えない。ということは、酸素がないと車もはしらず、ストーブなども使えず、料理もできない。火力発電もできない。
気づかない間に人は大量の酸素を消費しているのだ。
そして呼吸や燃焼を行うと酸素は二酸化炭素になってしまい、なかなか元には戻らない。とゆうことは、大量の燃焼をしすぎると、酸素がなくなってしまい、生物は死に絶えることになる。
この酸素を取り戻すことのできるのは、植物だけで、また動物が生きるために必要な
糖分を生み出しているのも植物だけだ。
つまり地球上の生物はすべて植物の持っている葉緑体という小さな生体組織によって支えられているのだ。
普段気づかないかもしれないが、人の生活の多くは木に支えられている。
そして考えたほうがよいのは、
酸素の消費とゆうのは急には減らせない。そして残りはわからない。
あまり車や電気を多く使用して、木を伐採しすぎると、気づいたときにはもう手遅れとゆうこともあるかもしれない。
3章 木を植えてみた
私は以前にいろいろ木を植えてみたのだけど、それについて書いてみようと思う。
まず最初に、植えた木の種類は、栗、柿、サクランボ、桃、梨、杏、李、アケビ、みかんなどだ。
実は一種類あたり2本以上、桃やみかんは一種類ごとに10本以上植えたみたのだけど、まず結果から書いておくと、ほとんど駄目になってしまった。あまり書きたくはないのだけど、本当のことで大変残念だった。
何故植えたのかとゆうと、私が道路を歩いていたときのこと。
なにげなく普段気にもとめない街路樹を見ていたら、枝をほとんど切られて丸坊主の無残な姿になっている木を何本も発見した。まるでこぶみたいになっていていびつな形をしていた。なんでこんなことをしたのかわからないけど、非常に残念に思った。
これがきれいな花が咲き、おいしい実のなるサクランボや杏のような木であったらと思った。
そしてその後河原を歩いていると、ヨシが大量に生えているのを目にし、多くの雑草や雑木が生えているを目にし、これも残念に思った。日当たりもよく、地面が常時水で湿っているので、木にはうってつけの環境だろうと思った。
木の根には、土を抱きとめる効果があるので、川の形も変わりにくくなるから、いろいろ考えて木を植えてみようと思ったのだった。
苗木はホームセンタなどで買ってきた。値段は一本あたり千円前後。先に大きくなることを考えると安いものだと思った。
木とゆうのは植えてしまうと水をやらなければならないもので、水をやりながら歩く日々が続いた。
思うにただ目的もなく散歩するよりは、木に水をやってあるくのは目的や楽しみがあってこれはこれでいいものだった。
しばらくして桜や杏などの花が咲くと喜びもわいた。
枝がのびたり、葉がはえたりするのをみるのは結構楽しい。
たかだか木の葉が生えたくらいでと思うかもしれないが、自分が植えた物には格別の感情がわくものだ。
そして怒りもわいた。植えていた木が何本も抜かれたのだ。栗や桃が何本もなくなっていき、なぜ抜かれたのかがわからない。横に生えていた雑木はそのままだったから人為的なものだろうけど、泥棒なのかいたずらなのか理由がよくわからない。
せっかくよくしようと思って植えたところ、わざわざ雑木をのこして抜いていく理由がよくわからない。
木とゆうのは植えた場所は私の土地ではないので、植えたものは、土地の所有物になってしまうらしく、植えた木は県か国のものとゆうことになるらしい。
とった人は誰だろうと思った。
みかんは寒さに弱いらしく、冬になるとほとんど枯れてしまった。
ほかに杏なども草刈のときに刈られてしまったらしく、残ったものはほとんどなかった。
そして雑草や雑木の生い茂る汚れ川を嘆く気持ちで眺めたのだった。
余計な道や建物を作るくらいなら、こうゆうところをきれいに手入れしたほうがいいと思う。ただコンクリで固めた何もならない殺風景な川にするよりは、花が咲き、実がなり、魚がとれ、酸素がうまれる川にしたいと思った。
もし私の家に庭があったなら、いろいろ実のなる木を植えただろう。
庭なら寒くならず、みかんも枯れないかもしれない。つくづく庭があったらと思った。